さいコーな日々

珈琲を売る側から伝えるどうでもいい事とか珈琲のことですら無い日常のこと

クリスマスとクソオヤジ

はい毎度です。

今回はツイッターにも宣伝しません。

プライベートなことしか書きません。

ただ私の私記です。

 

現在日付が変わって12月25日。

そーです。クリスマスです。

サンタさんが毎年来るおともだちは

ぜったいに今すぐこの場末のブログをそっとじしてね!

 

4人の子供の内下の2人は

まだサンタさんをきちんと信じております。

 

上のお姉ちゃんはラッピングしてなかったおもちゃを

嫁と一緒にラッピングして

枕元におもちゃを置くお手伝いしてました。

 

「パパになんか頼まないで

サンタさんに頼むからいーもん!」

って昔言ってましたが今どんな気持ち?って訪ねたら

 

「へーそんな事言ってたんだ」と

ちょっとバツの悪い感じで言われました。

ざまーみろ。

 

最近ではクソ親父(オヤジ)と言われることもございます

このワタクシでございますが

自分もしょーもないケンカの時とか

ふざけてる時とかよく親父に

このクソ親父!とか言ってた事を

こういう事があるとよく思い出します。

 

毎年お前サンタの正体分かった時

覚えてろよと思って

クリスマスプレゼントを用意してましたが

ようやく上の子に言えました。

言えるまで14年かかりました。

上の娘もここ数年はサンタさんを信じてるフリで

お互い化かし合ってたのですが

こんなのも将来良い思い出になってくれるのかな。

 

下の子供たちはリビングのテーブルに

「サンタさんへ、食べていってね」

と書いた袋にお菓子を入れて置いてました。

 

お菓子を私に食べさせてから袋に

英語でメッセージまで書くやさしい嫁。

食べたくないバームクーヘン詰め込んで

口の中モッサモサな私。

来年はお菓子はいらないからね!って

子供に伝えるミッションが増えました。

 

今はこうやってよくあるクリスマスを毎年やるのですが

 

私の子供の頃はクリスマスプレゼントをねだると

ウチは仏教だからって親父に怒られて

一度も買ってもらえませんでした。

父方の齋藤家は結構由緒正しいみたいで

叔父が住職やってたり

本当に仏教徒だったので仕方なかったのかと思ってましたが

やっぱり子供の頃は寂しかったものです。

 

毎年クリスマスが近づくと

何も買って貰えなかった自分の昔を思い出しつつ

この時期は同時に正月も近づくので

実家の事をちょこちょこ思い出します。

 

数日前の21日、妹から携帯に着信があり

正月のことでこっちの様子を伺いにきたのかなと。

 

電話に出るとその電話は泣きじゃくり、

半分パニックになっている妹からの電話で

親父が先程死んだと言う連絡でした。

(亡くなるとか逝去とか言う表現を使うべきなんでしょうが

間柄死んじゃったと言う表現の方がしっくりくるので

こういう表現をしています)。

 

今から来れる?と言われましたが

タイミング悪くインフル陽性の状態。

高齢の母や持病のある妹にはインフルを移せません。

 

とりあえず落ち着くように電話口で指示をして

実家側の人間で事を進めてもらうようにして

不安な時でもなんでもいいから

何かあったら電話しておいでと言って

その時は電話を切りました。

 

親父が死んだ、でも何故か涙が出てこない。

私は家庭環境がここに書けない位悪かったので

親に対して人並みの愛情を持っていないのかもと思ってました。

逃げるように家を出る母に付いて行った私と兄は

とにかく酷い生活でした。

 

そんなんだから涙が出ないんだろうなと

思ったのですが

まだ実感と言うか受け入れる事が

出来てなかっただけのようで

1時間、2時間と経つと

昔の思い出とかが沢山蘇ってきて

上の娘に「悲しい?」と心配そうに尋ねられた瞬間に

想いが溢れてしまって

「悲しいよ・・・」と言った後で

娘の前で声を出すほど泣いてしまいました。

 

4人の子供を育てるって当たり前ですが凄く大変で

心を強く保ってないといけない。

いつも強いとーちゃんで居なくてはならないと

常にどこか気を張っていたのですが

初めて家族の前で泣いてしまった。

 

正月に会いに行こうと思ってたのに。

別れの言葉も言えなかった事が悔しくて。

玄関で仰向けに血を吐いて死んでいたと聞いて

最後は苦しくなかったのかなとか

この家で死にたいと言っていたけど

布団の中で死なせてやりたかったとか

最後に好きなだけうまいもん食わせてやりたかったとか

それが出来る時間が無い訳じゃなかったのに

なんでもう少し早く会いに行かなかったとか

どうしても自分を責めてしまう。

 

それでも

親父に孫の顔を見せてあげられた事と

親より早く死ななかった事は

少しは親孝行出来たのかなと思ってます。

 

インフルが落ち着いて熱も平熱になったので

親父に会いに行こうと母に連絡を取りましたが

もう既に検死が終わって直葬するので

火葬場で順番待ち状態で安置されてるとの事でした。

追加料金を払うと

火葬前にお別れの時間を取れるそうなので

親父の前妻の娘二人とかと

(自分にとってはねーちゃんみたいな

仲の良い兄弟みたいなもんです)

そこで最後に親父の顔を見て

火葬する予定です。

 

親父の兄が住職なので

今回そっちにも連絡を取ったのですが

今年の3月に亡くなってしまったそうで

親父の兄弟は

もうみんな亡くなってしまっていたとの事でした。

 

親父の骨は

親父の故郷の青森に春になったら送って

青森の齋藤家の方々が親父の兄弟と一緒に

お墓に入れて下さると言うので

親父もその方が喜ぶと思いますし

お墓のお手入れもして頂けるので

ご厚意に甘えさせて頂く事になりました。

 

墓参りは中々行けなくなってしまうのが

悲しいですが

今まで数十年間お互い滅多に連絡を取ってなかった

親族同士が数日でここまで話が決まるのは

故人を想ってくれての事だと思います。

本当に心の暖かい親戚で良かった。

 

春になったら、数日休みを取って

私が遺骨を青森まで送り届けようと思います。

最初で最後の親父と2人旅。

ちゃんと父方の親戚にもお礼も直接言いたいですし。

最後はケジメをしっかりつけましょ。

 

いつか必ず墓前にピーマンコーヒー持っていくから

気長に待っててくれよなクソ親父。

もう何も心配いらないよ。

ゆっくり休んでね。